安東文吉といっても知る人は少ない、幕末の駿府(現在の静岡市)で2足の草鞋を履いたやくざの大親分で、箱根関所などの交通手形を発行を任されていました。
この安東文吉がいた為に、清水次郎長は地元では自由が利かずいつも旅がらすで主に西方面で活躍していました。
清水次郎長は若い時分に安東文吉には世話になり、東海道を旅する時には清水から久能街道を利用し海岸線を焼津に抜けて、藤枝当たりから東海道へ出たといわれています。
安東文吉伝史料集の次郎長関係の所をデジタル化したものをホームページに公開しました。
ぜひ一度ご覧下さい。
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